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インドネシアで思い出したこと
インドネシア・ジャワ島中部のジョグジャカルタでマグニチュード(M)6・3の大地震が起こり、
バントゥル市では、大半の建物が全半壊、死者は3000人以上の惨事となっているという。 まだまだ被害は拡大しそうである。 インドネシアは、私が始めて海外で仕事をしたところ。場所がどこにあるかもわからないままに、 延べ2ケ月も滞在した。その間、45度の超高熱で倒れるは、食中毒になるは、パスポートを盗まれるは、1週間で10Kgもやせるは、オカマにはなしかけられるはと散々な体験をしながら仕事をしてきた。 職業別電話帳で適当に電話してよさそうなところに飛び込んだり、TOYO純正、KAKURA、YAHAMAというややこしいブラントを出しているニセモノメーカーを即戦力として採用したり、 新規仕入先を探して現地生産の仕事をしてきた。 そんな経験をしてきたところだが、やはり思い出深いし、その経験でディープなインドでの免疫もここでできた。ジャワ原人にも会ってきた。 だから、他人事とは思えない。なくなった方のご冥福を祈りつつ、早く復旧、安定することを願うばかり。 日本ともインドネシアは係わり合いが深い。じゃがいもはジャカルタ・イモの略だしオラウータンはインドネシア語で「森の人」という意味。長崎の出島とは東インド会社つながりだ。 日本軍がオランダ軍を破り、インドネシアの独立をエサに日本に併合したものの、敗戦。ただし、約束は守って、武器は連合軍に提出せずにインドネシアに渡して、それが独立戦争の足がかりになった。 シンビーリジャワティはもともとインドネシアの無味無臭の安物のお茶を日本で健康のイメージで売り出したもの、幻のコーヒー、トアルコ・トラジャコーヒーは日本のメーカーが人食い人種のトラジャ族と協力して、絶滅を防いでプラントに成功したコーヒー、ジャワカレーは・・・・、いや、ジャワカレーはインドネシアには存在しない。 まあ、それだけ関係が深いということ。 ただでさえ、ジャカルタやバリ島のテロ、火山の噴火の兆候、前大統領スハルトの様態悪化、バリ島での独立の気配、東ティモールの内乱とごたごた続きの状態。 外務省も海外安全ホームーページで注意を促している。 そういえば、前大統領のスハルトはジュグジカルタ近辺の出身だ。 このスハルト、前々大統領のスカルノに名前が似いてるのでややこしいが、軍事クーデターで無理やりスカルノから権力を奪った。いいこともしたけれどワイロ中心の独裁政権で失脚。 (たしかに、インドネシアでは「お金」「おみやげ」と役人から何回か要求された。) ちなみのこの前々大統領スカルノの奥さんだったのが、TVにでてくる大金持ちのデヴィ夫人。 かつて日商岩井が取引を有利にしようとワイロの近い意味合いで送り込まれた秘書だったが、頭のの良さや気配り、立ち回りが気に入られ、第3夫人として結婚。その後頭角をあらわしトップレディへ。 1965年9月30日の軍事クーデターでスカルノが失脚した際、身重だったが、なんとか脱出して日本へという波乱万丈の人生を送った方だ。TVで笑いをとっているが、歴史の生き証人でもある。
by utzutz
| 2006-05-29 00:20
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